Usui Reiki Master/Teacher
LightarianTM Reiki Master/Teacher
Karuna®Reiki Practitioner
SSR-SKHM Practitioner
Shu
1971年7月20日生まれ。幼い男の子、二児の父。幼い頃の夢でもあり、家族と共に大自然とつながり、のびやかに丁寧に暮らしていきたいと思い、2005年にニュージーランドへ移住しました。
日本在住時にレイキ、指圧と出会い、学ぶ機会を得ました。その後、スコットランドのフィンドホーン・コミュニティで過ごした経験や、移住にまつわるさまざまなできごとを通じて、自分を見つめなおし、多くの学び、気づき、新たな認識との出会いがありました。
私には特に肩書きはありません。ただ、自由で健やかな、心ある道を歩く者でありたいと思っています。
ナチュラルで、ハートフル、ソウルフルな生き方を模索しつつ、全身全霊で体現していけたらと思っています。このトータルな状態、それが私にとって「スピリチュアル」の鍵です。
2005年にニュージーランドに移住し、子供達と美しい大自然の中、共に成長していきたいと永住権を取得しました。もちろん、遠く離れたふるさと日本のことも忘れることはありませんが、今はこの国で暮らし、その中から何か自分なりにシェアができればと日々を過ごしています。
私は、自分を通して流れる「エネルギー」を、人と自然がトータルなつながりを取り戻し、ホリスティックな観点で健康にいきいきと暮らしていくことに役立つ方向へ放ちたいと考えています。
私は関西の大きな町で生まれました。家庭環境、経済状況共に、なかなかに波乱万丈の中育ちました。
両親は厳格な無宗教、無神論者で、神仏に祈る経験はおろか、初詣、おみくじなど、日本人の慣習的なイベントとしてさえ、親しんだことがないという少年時代でした。
しかし、幼い子供にはしばしばある「何か大いなるもの」への活き活きとした感覚が私にもありました。
結果として、この「気のせい」の探求は、親には秘密で続けられ、自分の内側へと向けられていきました。そして、ある時、自分の内側の深い奥に「光」を発見します。
それは衝撃的な体験でした。雷に貫かれるような感覚とともに、自分の深い奥底を突き抜けると、広大なスペースの感覚と、太陽のような強烈で大きな光を観ました。直感的に、そこがすべての源であり、自分も、周りの人たち、生き物達も、その現れの一つに過ぎないと感じました。
幼い子供であった私は、とてつもなく神聖な何かと出会ったと感じました。しかし、(親から禁じられていると思っていたため)その感覚を「神様」とも「仏様」とも呼ばずに、結局「俺様(大いなる私、聖なる私の意)」と呼ぶことにしました。
それからしばらく子供時代の一定期間は、「俺様」としばしばコンタクトを取っていました。たいていのことは「俺様」が知っていました。
ちょうど「俺様」と出会った頃、頭の中の後ろ側にフラッシュバックのように未来のビジョンをひとつの情景として見ました。それは美しい緑の丘陵と森林、湖の風景の中で暮らす自分でした。
地理の授業でニュージーランドについて習ったのは、その数日後でした。
その時、幼い私は移住を決心しました。
ただし、それを実行に移したのはずっと後の話。このビジョンは、成長する間に受験戦争や学生生活、就職など、現実問題の前に徐々にかすんでいき、頭の片隅に追いやられていきます。
それどころか、自分の繊細な感性、内なる声を掻き消すためでしょうか、親や社会の描く「スタンダード」を意識していたのでしょうか、「周囲の人たちの求める仮面」を勝手に想定し、それを被るために、論理的、現実的な思考や態度に固執していったように思います。
その後、進学、就職といわゆる「フツウ」の進路をたどった私は、結婚し第一子を授かります。会社では管理部門に籍を置き、小さな不満や不和はあっても大きな問題はありませんでした。しかしながら、長男が生まれた頃から、海外移住に対してあらがえないほどの強いモチベーションを感じ始めました。
理由は分からないけれど、移住にトライしてみたい。
ただ、その時の私は、自分や家族に対して、特に幼い息子に対して、内なる声に正直に生きていきたいという気持ちが大きかったように思います。人生を大きく転換させ、家族と共に移住しようと決断するのにさほど時間はかかりませんでした。
葛藤は当然ありました。しかし、自分の夢や思いを、正直に丁寧に周りの人に話していったところ、人々は驚くほど理解を示してくれ、共感と応援の言葉をかけてくれたのでした。
ところが、会社を辞めて移住に踏み切ったとたんに、二番目の子供が妻のお腹に宿ったのです。本格的に移住にうつるには、タイミングをずらす必要があり、無職になってしまいました。全く想定していませんでした。
頭では移住や生活についての不安がかすめましたが、自分の心の奥を感じてみると、全くゆるぎなく「Yes」と言っている気がします。これでいい、この方向性に変わりはないと感じました。
これをきっかけにして、退職後も、自分が興味を持ったこと、面白いなと感じたことには、いままでの固定観念や先入観をできるだけ取り払って、自由な感覚で受け入れ、挑戦してみることにしました。
ただし、実はこの期間が、自分にとって、一番大きな挑戦でした。会社員時代の私は、占いもヒーリングも宗教も、十把一絡げに全否定していたのです。でも、それは単に「分からない」ことを認めたくない、いちいち立ち止まって考えたり、詳細に感じてみることを省略するための「決め付け」でした。むしろ「恐れ」に近いものでした。
この期間に、レイキや指圧を学び、トランスパーソナル心理学、ハコミセラピーと出会い、これらは今の自分のワークの基礎となりました。
自分に対する「封印」、自身の否定的なマインドによる葛藤を解き放ち、自由な感覚が徐々に取り戻されていきました。本来の自分に立ち戻り、新しいステージに移る格好の準備期間となったのです。
また、レイキの先生であるY&Yヒーリングセンターの岡本ゆう子さんから受けたスピリチュアル・ワークを通じて、直感やインスピレーションを活性化して、自分の深い部分での望みや意思にアクセスすることができました。その中で起こった、シンクロニシティ(共時性)と思えるさまざまな出来事を通じて、短期間ですが、スコットランドのフィンドホーン・コミュニティで過ごしたことも、現在の自分に大きな影響を与えたと思っています。
仕事も住む場所のあてもなく、最低限の荷物だけたずさえて、私の家族のNZ生活は、オークランドのバックパッカーで始まりました。人々とのすばらしい出会いの一方、永住ビザ取得のための就職活動、会社員生活、そして退職し転居、ビジネスを立ち上げようとして、突然立ち消えになるなど、いろいろなレッスンがありました。
私のヒーリング・プロセスは、このニュージーランドへの移住を起点に展開しました。
現在の地へ引越したとき、「ああ、ここで本来の仕事が始まるのだな」と感じました。それでも、従来のビジネス的な考えで、今とは違うことをしようとしました。しかし、ハートから出てきていない、喜びを伴っていない計画は、なぜか頓挫しました。逆に、周囲の求めに応じて、喜びを持って行うことは、滞りなく静かに調和的に進んでいきました。
そして、パズルのピースが埋まっていくように今の姿が明らかになっていき、楽庵は始まりました。
素直で真摯な思い、周りのサポート、そして、大いなる流れによる思いもよらないような出来事、これらが調和的に流れ始めるとき、それはとてもダイナミックでパワフルなものとなり、自分の期待や想像の制限を越えていくのかもしれません。
自分の意図とは違う、想像していなかったようなことにこそ、大いなる力が働いているとしたら・・・。そして、ただそれに翻弄されるのではない、調和的な生き方が見つかるとすれば・・・。
誰でも少しの勇気ときっかけで、大いなるものと調和してダイナミックに生きていくことができる。そのきっかけの一つになれるかもしれない。
これが、私がここに癒しと気づきの場、楽庵を設けた思いです。
臼井 甕男
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林 忠次郎
高田 はわよ
Ethel Lombadi
Tom Ligler
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武富咸一
小山君子
土居裕
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岡本 ゆう子 / 三浦 行雄(Y&Yヒーリングセンター)
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Shu